『自己愛性人格障害』本人のブログ

自己愛性人格障害者本人が綴る、深層心理

寛解とは

ブログを読み返すと、元夫のことを鮮明に思い出して苦しくなる。

自己愛を露呈させないように、備忘録としての意味も込めて書いていたはずだが、その役割はほとんど果たせて居ない。

 

ただ、自己愛を露呈させない努力は、特に友人や両親、職場の人間との間においてはしており、無自覚だった頃よりは周りとの関係は良い方ではないかと思っている。

なにかにうけて周りを見下していた自分を今は恥ずかしく思うし、友人で居てくれること、自己愛が故の気の利かなさを持ちながらも仕事ができていることに今は有り難いと思う気持ちもある。

これは自己愛が治ったというよりは過剰警戒型に傾いたというだけのことだ。

 

やはりパートナーの前では自己愛的な部分の露呈はある。

変わった部分といえば、自己愛を露呈させてしまったあとは、また離れていくのではと怖くなるようになったことだ。

結局傷つけたことよりも、離れていってしまうことへの恐怖から自制することは根本的な寛解ではない。

 

最初に働いた職場で、大変ですね、と発言したときに、本当に大変ですねなんて思ってないだろあ、と言われたことがあった。

そのとき私は、本当に思ってるのに!と怒りさえ感じた。

大変ですねと本当に思っているのならそれに行動が伴うはずだが、そのときの私は言葉と行動に一貫性がなくチグハグで気持ち悪さを感じたのかと思う。

 

そこの、寛解は非常に難しく、こういう時はこういう行動をするはずだというマニュアルを刷り込ませてそのパターンで動ける場面で動くしか自己愛にはできない。

 

その行動を取り続ける。

私には本当の意味での良心がない。

だから、せめてそうやって寛解したように行動を変えるしかないと考えている。

自分の未来のために。