『自己愛性人格障害』本人のブログ

自己愛性人格障害者本人が綴る、深層心理

根本は結局変われない

誰かいてくれないと

自分がわからなくなって、鬱状態になる。

何か問題が起こると結局最後はここにたどり着く。

 

自分を犠牲にしてでも側にいてくれるなら元気になれる。

いなくなった途端に精神が崩壊してそれが行動化する。

自分を犠牲にすることを避けて、NOということ、健常者なら多少の葛藤があってもそうすることができる。

人格障害者にはそれができない。

 

元夫に対して、激昂したことは精神崩壊からの行動化のひとつであったが、そこに行き着くまでに私のとった行動は健常者として自分を守るためにとった行動だった。

つまり、なんら普通の行動をとったところで元夫と意見がすれ違い、それが見捨てられ不安になり激昂に繋がった。

この意見のすれ違いについては客観的に見ても明らかに私が悪いといったものではなく、むしろ元夫が私を大切にしてないともとれるような内容だった。

 

私は激昂したことは本当に反省しているし2度としないと心に誓っている。

しかし、激昂にたどり着くまでの行動まで変えてしまうのは本来なら間違っているのだ。

意見が違うなら、どちらかがあわせましょう、またはどうしても折り合いがつかないなら、別れましょう。

そうやって自分の気持ちも相手の気持ちも守って自立して生きていくのが健常者だ。

(何度も言うが多少の葛藤はあるのだろう)

 

しかし、人格障害者は違う。

相手の不在は自己の消滅なのだ

折り合いをつけましょう、ではない。

自己愛性人格障害者なら、力ずくで自分の正を主張し相手に罪悪感を植え付けて自分に服従させる。

依存性人格障害者なら、相手の意見を正として絶対服従をする。

自分を持っていて、それをわかるように、また相手の意見も聞いた上で自分の価値観で判断するのではなく、服従させること、服従することで精神崩壊を防ぐことが目的なのだ。

 

自己愛性人格障害者はよく、言ってることがコロコロかわる。

それは結局自分を持っていないから、その場で1番自分を堂々と保っていられる事象をあたかも自分の意見のように話すからだ。

 

最近は恋人のおかげでかなり落ち着いていたが、今問題に直面している。

それはちゃんと自分が健常者として向き合わなければならないことで、友人に相談するとはっきりYの為にも別れた方がいいといわれるようなことだ。

私なら無理だと言う人が大半だと思う。

恋人にも、同じことを言われた。

まだ若いし、もう立ち直ってるように見えるし、冷静に考えて、と。

 

自分でなければ、もし友達であれば、客観的にみれば、私だって別れを勧めると思う。

でも私は怖い。

また精神崩壊してしまうことが怖い。

また家で朝からお酒を飲んで何も楽しいと感じなくて人と話すのも無理で外に出ることも怖い自分になって生きていたくないけど死ぬ苦しみにも耐えられない状態でお金だけが減っていく状態に戻るなんて無理だ。

それなら犠牲になってでも、恋人を失いたくないと思ってしまう。