『自己愛性人格障害』本人のブログ

自己愛性人格障害者本人が綴る、深層心理

自己愛な人生⑦〜必要とされたい〜

自己愛性人格障害者は

自分というものを持ち合わせていない。

他者を通してでないと自分を確認出来ない。

関わる人によってそのかりそめの自己像はぶれまくる。

 

自分がない癖に、いやないからこそ

他人に必要とされたがる

 

私自身そんな意識なんてなかった。

でも自己愛性人格障害者であることを意識して自分の過去を振り返ると幼少期からその傾向がある。

 

幼稚園の時にかいた将来の夢

ピーマンと書かれていた。

理由は、ピーマンはみんなから嫌われている、だから私が代わりにピーマンになってみんなから嫌われてあげたいです。

と書かれていた。

ピーマンにさえ必要とされたい

と思っている。

かなり病的である。

 

高校の時の委員長決め。

なかなか委員長が決まらない委員会があった。

誰かやれよーおまえがやれよー

そんな野次が飛ぶなか、私は手を挙げた。

誰もやらないなら私がやりますー。

また野次が飛ぶ

さすがY!Yなら向いてると思う!

そんな明らかにお世辞な野次を真にうけて、心の中で

私は素晴らしいことをした、

みんなから必要とされてる、

と喜ぶ。

 

就職活動のときの履歴書。

業界への志望理由について私はこう述べている。

幅広い業界と関わることができ、

かつなくてはならないことであり

人々から必要とされるこの業界に

魅力を感じました。

何がやりたい、業界そのものの魅力はなにも感じていない。

ただ万人から必要とされたいことが私の志望理由だった。

(実際万人から必要とされてるのか、そんなに幅広い業界とかかわれるのかというと、正直企業内での細分化はあるので一概にはいえない)

 

そして私が結婚した元夫。

たった1度1時間ほど話し、連絡先を交換して2ヶ月ほどのメールでのやり取り、たったそれだけで長年つきあった彼女と別れ私を選んだ。

疑わしくなるほどの、愛の言葉の数々。

あぁ、私はこの人に必要とされている

自己愛は最高潮に満たされた。

こんなに私を必要とする人なら大丈夫だ。

そう思った私は元夫の気持ちは全く無視して放漫に振る舞い続けた。

結婚するまでは計算してちゃんと思いやるフリもしてたが、結婚してからはそのフリもやめた。

 

必要とされている確信=安心感

健常者ならそこから愛が生まれるはずだが

自己愛性人格障害者はそれを

すべて自分のエネルギーへかえる。

相手は与え続けるだけで搾取されるだけされて抜け殻のようになる。

 

私自身、その搾取したエネルギーをほんの少しでも元夫への思いやり(のフリ)にさえ変えればこんな結果にはならなかったはずだが、必要とされている確信は

私はこの人に

必要とされなくても生きていける

という間違った解釈に変換されていた。

去っていかれた途端私は精神崩壊した

 

幼少期から抱えていた生きづらさは

元夫との出会いで解消されたと思っていたが

全くそんなことはなくむしろ自己愛は肥大化していた。

そして私は

また必要とされることを求めている 

 

恋人がいるではないかって?

そのとおりである。

でも足りない。元夫には足元にも及ばない。

だからといって死ぬほど必要とされることが正しいとは思わない。

その行為は私を放漫な態度に導くからだ。

 

 

こういう分析ができていると少し自分が寛解された気分になるが根本は解決してない。

だって嫌われたくないからこうしようって

基準で行動してるもの 

形式的にはこれでいいかもしれない。

それでも恋人が去っていかないなら。