『自己愛性人格障害』本人のブログ

自己愛性人格障害者本人が綴る、深層心理

自己愛性人格障害者として生きる②

今日は典型的な境界例の友人と飲んでいた。

彼女は万人ウケする可愛さと色気を持ち合わせ、どんな人に対しても話を合わせユーモアもあり、人の気持ちを深く理解できる。

当然ながらとてもモテる。

しかし、彼女はたいてい相手を振り回して別れに至る。

 

特定の異性に対する考え方は私と同様でかなり偏っている。

私も彼女も

恋人との境界線を失いやすい

私ならこうするのにしてくれない!と

相手に気持ちを押し付けてしまう

そんな自分にほとほと嫌気がさしてしまうという考えも同じだ。

 

私の元夫は、私のことを深く愛してくれた。

私の趣味に付き合い、どんなときも連絡をくれ、遠距離だった恋人時代は毎週末会いに来てくれた。

ここに行きたい、というと旅券を手配してくれ現地の情報を仕入れ、どんなワガママも可愛いといってくれた。

悩んでるときは共に悩み、泣き、いつも1番に私を優先してくれた。

私は完全に甘えていた

 

離婚原因はある意見のすれ違いから、私の意見を優先してくれないことに私が見捨てられ不安を感じ、激昂したことである。

相手が自分と別の人間であることを

受け入れることができてない状態だった

 

境界例の友人も同じだ。

なんでわかってくれないの!と泣きわめく、と言っていた。

そのあまりのヒステリックに相手は引いてしまう。

ちなみに豊田真由子のような感じにならないか?と聞くと、あんな暴言は吐かないと彼女は言っていた。

 

とにかく、

相手は自分とは違う人間であると

意識すること

これは大切なことであるという結論になった。

私なら、記念日は忘れないのに貴方は忘れる!

と思ったとしよう。

健常者でもそれが悲しく感じることもあるし、もしそのことが嫌ならば別れるということだってできるはずだ。

しかし、人格障害者は違う。

私のこと嫌いなんだ、見捨てるんだ

そんな発想に至ってしまう。

そして

関わらないという選択肢を

とることができない

わかってほしいのだ。自分の一部だから。

でも、本当はそんなことはないのだ。

相手が記念日を忘れていることが自分への愛情のなさでは必ずしもない。

そういう人なのだ。

そんな考え方を許容していくことが相手と上手くいくことの一歩だと思う。

 

私の今の恋人は線引きがうまい。

あからさまに私を優先せず、ダメなものはダメ、嫌なものは嫌と言ってくれる。

あぁ、この人は私とは別の人間だな、と常々意識することができる。

元夫のような激しい愛情表現はないが、ただ普通に穏やかに私と時間を過ごしてくれる。

たまに元夫と比べて悲しくなることがある、が、彼と元夫は別の人間なわけで、だからといって彼から愛情を全く感じないわけではない。

角度によっては今の彼の方が私を愛してくれていると感じる部分もある。

 

よく、人格障害者への対応として線引きが大事であるというフレーズを目にするが、まさにその通りである。

線引きをしないと何処までも甘え続ける

それが人格障害者だから。

うまいこと線引きをしてくれる

パートナーを持つこと

それも人格障害と付き合いながら生きていく術であると今は思う。

豊田真由子議員

表題の議員の言い訳がほとほとわからないわけでもない。

本当に自分なのかと驚いてしまう。

 

きっと私も忿怒を起こした理由を公の場で答えるとするなら同じことをいうだろう。

公の場で自己愛性人格障害者はメッキを施している。

 

言いようもない不安に襲われた。

これもとてもよくわかる。

私の場合は見捨てられ不安とアイデンティティの崩壊であるが、表題の議員もきっと有権者へ向けて作り上げてきた完璧な自分を崩されることが怖かったのだろう。

普通に自分に自信があれば、あんな暴言を吐くこともなかったのだろうが、

劣等感の塊

自己愛性人格障害者であったとするならあの暴言がでてくることは納得できる。

不都合な現実をこの場で手っ取り早く

無理やり消してしまいたいのだ。 

後にその言動がさらに不都合な現実を運んでくることなんて考えられない。

短格的思考しか働かない自己愛性人格障害者は

爬虫類と揶揄される

 

余談だが私の顔つきも犬か爬虫類かで答えるなら完全に爬虫類よりだ。

友人と並んで写真を撮るとそれは顕著で黒目が小さくて光が少ない。

黒目の大きくなるカラコンをしてるのにこうだから、カラコンを外すともっと酷いのだと思う。

 

表題の議員はきっと、暴言によって相手を傷つけたことは反省してないのではないだろうか。

暴言が明るみになったこと

そのことで暴言を吐いたことを後悔はしているだろう。

私も同じだ。

忿怒によって元夫を傷つけたことよりも、忿怒によって離婚になったことで忿怒したことを激しく後悔した。

どこまでも自分のことしか考えられない

自己愛性人格障害者の特徴だ。

 

 

自他未分化

自己愛性人格障害を含む人格障害の特徴の一つに自他未分化というものがある。

これは

自分と他人の境界が曖昧になる

という心理的現象である。

 

初対面なのにやけに馴れ馴れしい人がいたら、人格障害を疑う余地はある。

現に私も初対面の人に対して馴れ馴れしくしてしまうことが多い。

はっきり言って無意識なのだが

 

ここでこの人失礼だな、と距離を置かれたらおそらくそれまでなのだが、話しやすい人だと思われて距離が縮まることの方が実際多い。

そのせいか、

表面的な知り合いがやけに多い。

これも自己愛性人格障害者の特徴である。

 

人は誰でも幼い頃は母親を自分の一部として見なしているが、成長するにつれて自分と母親は違う人であり、考え方や意見が違うこともあれば思い通りにならないこともあると知ることになる。

しかし、これをうまくできなかった人は自他未分化ままそれを他の人間関係にも投影してしまう。

 

実際私が母親と辛うじて自他未分化できるようになったのは、

社会人になって一人暮らしを経験してからだ

これは一概に私の責任だけではなく、母親にもあると思っている。

母親も自分の思い通りにならない私に対して感情をよくむき出しにしていた。

母親がギャーギャーいうか、私がギャーギャーいうか、どちらが先かどうかだけで、どちらかが冷静になることはなかった。

そのせいか、私はあまり母親が好きではなかった。

 

社会人になって家を出てから、物理的な距離ができたおかげで母親と話すときや少し意見が違ったときも冷静に意見を述べれるようになった。

その影で被害を被っていたのはその時々の恋人、そして元夫だった。

私のこと好きならわかってよ

そういう考えを手放すことができずに何度も苦しんだ。

 

結婚して、永遠の幸せを手に入れたと思い込んだ私は、時に献身的だったが同時に支配的でもあった。

自分と元夫は一心同体でいつも同じことを考えて私の幸せが彼の幸せである。と潜在的に思っていたのだ。

そのせいで元夫に去られた時

手足を失ったように何もできなくなった

 

元夫は優しかった。

私のやることなすこと全てを反対しなかった。

俺はYのどんなことに付き合っても面倒だなんて思わないと言う元夫のことを

私は自分の一部として見ていた

彼がどう思うか、なんて考えたことは結婚してからは恐らく一度もなかった。

嫌でも聞いてくれることに

無償の愛を感じていた

私は彼の存在によって仮の自分を作り出し、生かされていた。

失って初めて自分がそんな風に考えていたことに気づいた。

 

自分がないから、誰かの存在を通さないと自分がわからなくなって精神が崩壊してしまう。

だから平気で他人の領域に入り込んでしまう。

特に

外でいい顔をしていると身内に対して

その症状は強烈に出てしまう。

 

今でも母親が少しでも嫌そうにすると、そして逆に嬉しそうにしても私は少し気が重い。

親が子供のことを自分のように思うことは普通のことであるが、あまりにも私の状況や感情に振り回されすぎである。

私と同様、母も自他未分化な部分が大いにあると感じる。

自他未分化については

私の場合

母子関係が強く影響している

 

反面教師で自分は冷静にしなければならないと常に肝に銘じるように今は思う。

 

 

自己愛が助長される環境

元夫との離婚から半年以上が過ぎた。

改めて結婚生活を振り返ると、あの環境は私の自己愛を助長していた。

 

まず私は地元の関西を離れて地方都市へ嫁いだ。

友人はおらず、全ての行動は元夫を伴ったものであった。

元夫は家族から大切にされていて、息子の選んだ私のことを家族もとても大切にしてくれた。

ここでいう家族とは両親だけでなく、祖父母や親戚もである。

 

そして元夫の会社の人も私を特別扱いしてくれた。

嫁いだ土地はわりとよそ者がくるような場所ではなく、関西出身の私は珍しく、面白い人として重宝された。

 

そして元夫は私に対して異常に優しかった。

まるで子供を褒める母親のようにいつも私の味方をしてくれた。

元夫の前で私は3歳ほどの精神年齢で接することが多かった。

元夫はそれを可愛がり喜んだ。

今考えると滑稽である。

 

排他的といわれるその土地で特別扱いされて歓迎されること。

その環境は私に

こんなにも社交的で

人と明るく接することのできる

素晴らしい人間であるという意識を

芽生えさせた。

これこそ

幼児的万能感

である。

 

本当はそんなことないのだ。

周りが私に対して名一杯優しくしてくれたから

私はその優しく接されるという反応で

自己を見出していたのだ。

本当の私は空っぽである。

元夫なしでは生きれない自分に気づかないほど私の自己愛は肥大化していた。

 

どれだけ甘えさせてくれても、健常者であれば自分の価値観がその甘えを常識的な範囲を逸脱しないように行動制限する。

しかし自己愛性人格障害者は

どこまでも甘え続ける。

空っぽの自分を満たすために求め続けないと精神がおかしくなってしまう。

自己愛性人格障害者が結婚してても浮気するといわれるのは、自分はこんなところで収まりたくないという甘えが他に甘えさせてくれる環境を求めるがゆえだ。

(ちなみに私は浮気こそしていないがもっといい人がいると思ったことは何度もある)

 

…恋人ができたことで自分について考える時間が減ったが、改めて考えると本当自分はろくでもない人間だ。

怖くて聞けないがなんで私なんかと付き合ってくれるんだろう、騙されてるんじゃないかと思うことがある。

 

 

自己愛性人格障害者として生きる①

ブログのアクセス数が増えてからよく聞かれることがある。

 

自己愛性人格障害を治す気はありますか?

どうやって治しますか?

 

まず、治す気があるかないかというところだが、

治るものなら治したい

しかし、自己愛性人格障害を治すってどういうことなのかというと、自分というものを持ち合わせる必要がある。

今私がまだ思春期くらいであればどうにかなった可能性はあるが、自己紹介でも述べたがすでにアラサーと呼ばれる年齢になっている。

確かに、会社などで接した中年もすぎた頑固なおじさまよりはまだ柔軟性はあると思う。

凝り固まった何かがあるわけでないが、凝り固まってなさすぎるというか、

今更自分を育てなおすなんて意味がわからない

例えとしては分かりにくいかもしれないが、地球外生物Aがいたとする。

Aは人間の持つ五感に加えて第六感の相手の心の声が聞こえるという感覚を持っている。

人間に、この第六感を身につけろ、と言っても一体どんなやり方で?となるだろう。

それと同じ感覚なのだ。

 

被害者ブログにもよく書かれていると思うが

自己愛性人格障害は治らない

と言われている。

なので、治す気があっても治らないのであれば

自己愛性人格障害でありながら

できるだけ誰かに迷惑をかけたり

自分も苦しまないように

生きれるようにするしかない

と思っている。

 

ちなみに、私はそれをわりと今まで運良くうまくやったこれた方であると思う。

これは周りに恵まれたことや、自分に合う人を自然と友達にしてきたことも一つ言える。

私の親友は周りからもお母さんお母さんといわれるようなドッシリした人格の持ち主だし、他にも仲のいい友達はどちらかというとお姉さんお兄さん気質である。

そして自己愛性人格障害者が故に強い自己顕示欲はひょうきんな行動で発散してきている。

周りから見ると私は子供っぽいけどおもしろいキャラに分類されている。(多分)

 

このように今までなんとかうまく生きてはこれたが、やはり年齢には逆らえないしちゃんと自分を持って落ち着く必要性は感じている。

しかし

落ち着くには他者が必要なのだ

私を1番に必要としてくれる他者が。

こうやって書くと恋人の存在がわたしの10割を占めてると思い知らされる。

 

もしもいなくなると私はまた精神崩壊する

どうやってつなぎとめたらいいのか、まだ模索中だが、

とにかく忿怒だけは起こさないこと

常に相手を必要としてる自分を意識すること

これで行動もちゃんと制御できるようにするしかないと思ってる。

 

 

自己愛な人生⑦〜必要とされたい〜

自己愛性人格障害者は

自分というものを持ち合わせていない。

他者を通してでないと自分を確認出来ない。

関わる人によってそのかりそめの自己像はぶれまくる。

 

自分がない癖に、いやないからこそ

他人に必要とされたがる

 

私自身そんな意識なんてなかった。

でも自己愛性人格障害者であることを意識して自分の過去を振り返ると幼少期からその傾向がある。

 

幼稚園の時にかいた将来の夢

ピーマンと書かれていた。

理由は、ピーマンはみんなから嫌われている、だから私が代わりにピーマンになってみんなから嫌われてあげたいです。

と書かれていた。

ピーマンにさえ必要とされたいと思っている。

かなり病的である。

 

高校の時の委員長決め。

なかなか委員長が決まらない委員会があった。

誰かやれよーおまえがやれよー

そんな野次が飛ぶなか、私は手を挙げた。

誰もやらないなら私がやりますー。

また野次が飛ぶ

さすがY!Yなら向いてると思う!

そんな明らかにお世辞な野次を真にうけて、心の中で

私は素晴らしいことをした、

みんなから必要とされてる、

と喜ぶ。

 

就職活動のときの履歴書。

業界への志望理由について私はこう述べている。

幅広い業界と関わることができ、

かつなくてはならないことであり

人々から必要とされるこの業界に

魅力を感じました。

何がやりたい、業界そのものの魅力はなにも感じていない。

ただ万人から必要とされたいことが私の志望理由だった。

(実際万人から必要とされてるのか、そんなに幅広い業界とかかわれるのかというと、正直企業内での細分化はあるので一概にはいえない)

 

そして私が結婚した元夫。

たった1度1時間ほど話し、連絡先を交換して2ヶ月ほどのメールでのやり取り、たったそれだけで長年つきあった彼女と別れ私を選んだ。

疑わしくなるほどの、愛の言葉の数々。

あぁ、私はこの人に必要とされている

自己愛は最高潮に満たされた。

こんなに私を必要とする人なら大丈夫だ。

そう思った私は元夫の気持ちは全く無視して放漫に振る舞い続けた。

結婚するまでは計算してちゃんと思いやるフリもしてたが、結婚してからはそのフリもやめた。

 

必要とされている確信=安心感

健常者ならそこから愛が生まれるはずだが

自己愛性人格障害者はそれを

すべて自分のエネルギーへかえる。

相手は与え続けるだけで搾取されるだけされて抜け殻のようになる。

 

私自身、その搾取したエネルギーをほんの少しでも元夫への思いやり(のフリ)にさえ変えればこんな結果にはならなかったはずだが、必要とされている確信は

私はこの人に必要とされなくても生きていける

という間違った解釈に変換されていた。

去っていかれた途端私は精神崩壊した

 

幼少期から抱えていた生きづらさは

元夫との出会いで解消されたと思っていたが

全くそんなことはなくむしろ自己愛は肥大化していた。

そして私は

また必要とされることを求めている 

 

恋人がいるではないかって?

そのとおりである。

でも足りない。元夫には足元にも及ばない。

だからといって死ぬほど必要とされることが正しいとは思わない。

その行為は私を放漫な態度に導くからだ。

 

 

こういう分析ができていると少し自分が寛解された気分になるが根本は解決してない。

だって嫌われたくないからこうしようって

基準で行動してるもの 

形式的にはこれでいいかもしれない。

それでも恋人が去っていかないなら。

 

回避依存症

自己愛性人格障害と近いものに

回避依存症というものがある。

 

回避依存症の人は自己愛性人格障害者であることが多いらしい。

回避依存症の人も自己愛性人格障害者と同じで

自分に自信があるように見える

しかし、本当は全く自信がないから

虚栄を張っているだけである。

 

元夫と出会ったとき、私は

やたらと前向きだった。

その理由は本当は死ぬほど後ろ向きで自信のない自分が嫌いで、そのせいで実際嫌われることもあったので

必死で変わろうとしたのだ。

しかし根本にある自信のなさが払拭されるわけでなくその姿は仮でしかなかった。

 

運良く元夫の心を掴んでしまった私は、

元夫に必要とされることに依存した

元夫は本当に私を愛してくれた。

何をしても笑って喜んで褒めてくれた。

私がいなくなることを想像して涙を流すような人だった。

私の自己愛は肥大化し続けた

しかし、根本にある自信のなさが払拭されることはもちろんなく、

必要とされることを確かめ続けた

そして行き過ぎた行動は離婚という最悪の結果となった。

 

この経験は私を確実に

回避依存症に導いた

今まさに私は恋人に対してこの症状が出ている。

すごく幸せに思う瞬間があるのに

伝えることができない

幸せがまた壊れそうで怖い

あなたがいなくても大丈夫なのよ、と言わんばかりの態度をとってしまうことが多い。

元夫ほど愛を伝えてくれるわけではないが、行動が十分に私を想ってくれていることが伝わるのに、私はそういう行動がとれない。

嫌われたくない

 

余談だが、元夫には私の根底にある自信のなさについて話したことがなかった。

結婚しようといわれた時に、さらっと、私は暗い部分もあるけど大丈夫?と伝えただけだった。

(ちなみに、大丈夫だ、何があっても受け止める。といわれた。なのでそれ以上何もいわなかった。)

しかし、今の恋人は私の暗い部分も全部知っている。

不安そうにしたり暗くなっているときは、無理矢理でも何を考えてるか聞いてくれる。

話したことに対しての答えもすごく的確だ。

しかし、あんまりにもこの状態が続くと嫌われないか怖い。

それを伝えると、そんなことでは嫌いにならないといわれるが、元夫も何があっても受け止めると言ったがこのようになってしまったことは正直かなりトラウマになっている。

だからといってまた虚栄を張ってしまうのもまた違う気がする。

 

自分の心を安定させることを

何よりも優先させてしまう

本当の意味で相手を幸せにしたいのに

自己が安定しないとそこまで手が回らない

自己を安定させるために相手を傷つけてしまう

 

今度また会った時に恋人に話してみることにしよう。

あぁ、嫌われたくない。。