『自己愛性人格障害』本人のブログ

自己愛性人格障害者本人が綴る、深層心理

自己愛な人生⑧〜白黒思考〜

人格障害の特徴の一つに

白黒思考

が挙げられる。

 

善か悪か、0か100か

どちらかでしか物事を判断できずに中間が存在しない。

 

昔から見捨てられ不安をよく感じていた私は、結婚する際に元夫にこう聞いた。

「私は貴方に見せていないような暗い部分もある。特に、それは見捨てられると思ったときにでてくる。貴方は絶対私を見捨てない?」

元夫は答えた。

絶対見捨てないよ

 

具体的な記憶はないが、昔から絶対や100パーセントという言葉をよく使っていた。

それは、健常者の言うそれとは違って本当に絶対的な意味をこめて使っており、

その絶対が覆されると

言い様のない怒りがこみ上げていた。

 

人の一部を見ただけで

こんな人ありえない

と一瞬で大嫌いになって口もきけないほどだった。

 

例えば、こちらが何とも思ってないけど普通にたまに会う異性の知人に、好意を持たれていることがわかったとする。

すると途端に会いたくなくなるのだ。

凄く、気分が悪くて、この人は自分をそういう目で見ているのか、と。

そしてありえないほど冷たい態度をとる。

私に好意を持っていることで

その人の人格が変わるわけではないのに。

 

同じ人に対する評価もコロコロ変わる。

ただ自分の気分のせいで、同じ行動に対しての評価が全く変わってしまう。

 

昨日私は実家にいて、恋人とのこともあり気分が冴えなかった。

医者の予約があったので外に出た。

すると、母親も小走りで追いかけてきて、

「私も途中まで一緒にいく。」

と笑顔を向けてきた。

しかし、この時私は本当に気分が悪かった。

なので、母親をちらっとみて無視をした。

ちなみに、まだ無視できただけで私の中では成長だ。

心の中でこの時、鬱陶しい、こいつなんていなくなればいいのに、早く家を出たい。

そんなことが湧き上がっていたが、それを言葉にしたり他に暴言を吐くことはなく止められた。

 

これが本当に気分の良い時であれば普通の対応ができたはずだ。

というより、今このブログを書いているこのとき、私は特に母親に対して鬱陶しいだいなくなれだ思っていない。

なのに、昨日はそういう風に感じていた。

同じ人なのに、

その人に対しての評価が気分で変わる

 

それは元夫の離婚騒動の時もそうだった。

激昂しているときの私は、

こんなやついなくなれ、死ね

と怒りを露わにして、周りに対しても元夫の悪口を言いまくった。

普段からそんなことを思っていたのかと聞かれるとそんなことはない。

むしろ私は、夫大好き妻だった。

夫とたまたま帰るタイミングが一緒になると子供のように喜び、嬉しいことも悲しいことも真っ先に夫に報告していた。

 

普段との態度の急変

に、元夫にも困惑しただろう。

私も今となっては見捨てられ不安だったと理解できるが、そのときは本当に元夫のことが大嫌いになってもう別れてしまいたいと心から思っていると思い込んでいた。

 

余談であるが、私は今恋人がいる。

元夫ばかりブログに登場するので恋人のことはただの寂しさの穴埋めなのかと思われるかもしれないが、そして本当に最初はその気持ち大半で交際を始めたが、今はちゃんと恋人と向き合っている。

恋人とは私のこのような深層心理についても話すし、どうすればいいのか、という話し合いもする。

また機会があればまとめて記事にしようと思う。

 

 

根本は結局変われない

誰かいてくれないと

自分がわからなくなって、鬱状態になる。

何か問題が起こると結局最後はここにたどり着く。

 

自分を犠牲にしてでも側にいてくれるなら元気になれる。

いなくなった途端に精神が崩壊してそれが行動化する。

自分を犠牲にすることを避けて、NOということ、健常者なら多少の葛藤があってもそうすることができる。

人格障害者にはそれができない。

 

元夫に対して、激昂したことは精神崩壊からの行動化のひとつであったが、そこに行き着くまでに私のとった行動は健常者として自分を守るためにとった行動だった。

つまり、なんら普通の行動をとったところで元夫と意見がすれ違い、それが見捨てられ不安になり激昂に繋がった。

この意見のすれ違いについては客観的に見ても明らかに私が悪いといったものではなく、むしろ元夫が私を大切にしてないともとれるような内容だった。

 

私は激昂したことは本当に反省しているし2度としないと心に誓っている。

しかし、激昂にたどり着くまでの行動まで変えてしまうのは本来なら間違っているのだ。

意見が違うなら、どちらかがあわせましょう、またはどうしても折り合いがつかないなら、別れましょう。

そうやって自分の気持ちも相手の気持ちも守って自立して生きていくのが健常者だ。

(何度も言うが多少の葛藤はあるのだろう)

 

しかし、人格障害者は違う。

相手の不在は自己の消滅なのだ

折り合いをつけましょう、ではない。

自己愛性人格障害者なら、力ずくで自分の正を主張し相手に罪悪感を植え付けて自分に服従させる。

依存性人格障害者なら、相手の意見を正として絶対服従をする。

自分を持っていて、それをわかるように、また相手の意見も聞いた上で自分の価値観で判断するのではなく、服従させること、服従することで精神崩壊を防ぐことが目的なのだ。

 

自己愛性人格障害者はよく、言ってることがコロコロかわる。

それは結局自分を持っていないから、その場で1番自分を堂々と保っていられる事象をあたかも自分の意見のように話すからだ。

 

最近は恋人のおかげでかなり落ち着いていたが、今問題に直面している。

それはちゃんと自分が健常者として向き合わなければならないことで、友人に相談するとはっきりYの為にも別れた方がいいといわれるようなことだ。

私なら無理だと言う人が大半だと思う。

恋人にも、同じことを言われた。

まだ若いし、もう立ち直ってるように見えるし、冷静に考えて、と。

 

自分でなければ、もし友達であれば、客観的にみれば、私だって別れを勧めると思う。

でも私は怖い。

また精神崩壊してしまうことが怖い。

また家で朝からお酒を飲んで何も楽しいと感じなくて人と話すのも無理で外に出ることも怖い自分になって生きていたくないけど死ぬ苦しみにも耐えられない状態でお金だけが減っていく状態に戻るなんて無理だ。

それなら犠牲になってでも、恋人を失いたくないと思ってしまう。

 

 

1人で居られない

自己愛性人格障害者の特徴で

1人で居られない

というものがある。

他者を通さないと自己像がぼやけてしまう

自己愛性人格障害者は1人でいることが苦手である。

 

しかし誰でもいいから一緒にいてほしいわけではない。

自分を素晴らしい自分にしてくれる誰か

と一緒にいたいというのが本音だ。

むしろ、

素晴らしくない自分にする誰かとは

距離をとる

 

自分を素晴らしくしてくれる誰かとは、私の場合はまず、自分の冗談やわがままな行動を心から面白いと感じて笑ってくれる人は大好きだ。

そして私の意見に賛同し、その考えは素晴らしいねと褒めてくれる人も大好きである。

幼児的万能感が増長される

根底にある劣等感は払拭され素晴らしい自分になれるのだ。

 

自己愛性人格障害者は

相手そのものの人格を見るのではなくて、

自分に対してどの様に接するか、

反応するかでその人への対応を変え、

時に恋愛感情(と勘違いされた依存心)を抱く。

相手の人格そのものや気持ちに寄り添うという発想を持ち合わせていない。

論理としてはわかるのでそのフリはできるのだが、自分の核が存在しないため本当にそれはフリでしかないのだ。

 

1人で居られない私だが一人暮らしをした経験がある。

しかし、仕事のあとは殆ど友人との予定漬けだった。

もちろん高給とりではないのでお金に際限があるため、夜の仕事も掛け持ちして居た。

当時恋人もいなかった私は

見ず知らずの人にさえ必要とされることが

嬉しいと感じていた

人と話すことが好きだという風に解釈していたが、ただ1人になって自分の劣等感と向き合うのを恐れているだけだった。

 

結局、自己愛性人格障害者が1人で居られないのは

自分の核のなさから底抜けの劣等感を

1人で処理できないからである。

誰かに、自分は素晴らしい、必要だといわれないと自我が崩れてしまう。

その恐怖から逃れるために自分を素晴らしくしてくれる誰かと一緒にいたがるのだ。

 

元夫は確実に素晴らしい自分にしてくれる誰かであった。
私は元夫の、私を1番に優先して、私に感情移入し、ひたすら優しいところが大好きだった。

元夫の人格や気持ちなんて

どうでもよかった
私は元夫を通して自分の中に帝国を作り上げていた。
居なくなったことでその帝国は一瞬で滅亡した。

その焦燥がしがみ付き、ストーカー行為と行動化されて事態はますます悪化したのはいうまでもなかった。

 

現在私は恋人の家に居候状態である。

恋人が自分を素晴らしくしてくれる誰かなのかと聞かれると、答えは?である。

例えば聞き上手なところとか、そういう部分もあるのだが私を賞賛したり持ち上げることはないし、わかりやすく甘やかすようなこともない。

ただ、やはり毎日の食事を美味しいと言って食べてくれたり、面白いと感じた話で笑うところや、抱きしめて寝てくれるところなど、

自分の承認欲求を日々満たしてくれる

ことは確かである。

恋人のおかげで私自身今はかなり安定して居て自己愛性人格障害者であることを忘れそうになったりすることもある。

しかし、きっとそれはまた1人になったときに強く自覚するのだろう。

思いやるフリでもなんでも、相手のことを考えることも日々忘れないように努力するまでだ。

 

自己愛性人格障害者として生きる②

今日は典型的な境界例の友人と飲んでいた。

彼女は万人ウケする可愛さと色気を持ち合わせ、どんな人に対しても話を合わせユーモアもあり、人の気持ちを深く理解できる。

当然ながらとてもモテる。

しかし、彼女はたいてい相手を振り回して別れに至る。

 

特定の異性に対する考え方は私と同様でかなり偏っている。

私も彼女も

恋人との境界線を失いやすい

私ならこうするのにしてくれない!と

相手に気持ちを押し付けてしまう

そんな自分にほとほと嫌気がさしてしまうという考えも同じだ。

 

私の元夫は、私のことを深く愛してくれた。

私の趣味に付き合い、どんなときも連絡をくれ、遠距離だった恋人時代は毎週末会いに来てくれた。

ここに行きたい、というと旅券を手配してくれ現地の情報を仕入れ、どんなワガママも可愛いといってくれた。

悩んでるときは共に悩み、泣き、いつも1番に私を優先してくれた。

私は完全に甘えていた

 

離婚原因はある意見のすれ違いから、私の意見を優先してくれないことに私が見捨てられ不安を感じ、激昂したことである。

相手が自分と別の人間であることを

受け入れることができてない状態だった

 

境界例の友人も同じだ。

なんでわかってくれないの!と泣きわめく、と言っていた。

そのあまりのヒステリックに相手は引いてしまう。

ちなみに豊田真由子のような感じにならないか?と聞くと、あんな暴言は吐かないと彼女は言っていた。

 

とにかく、

相手は自分とは違う人間であると

意識すること

これは大切なことであるという結論になった。

私なら、記念日は忘れないのに貴方は忘れる!

と思ったとしよう。

健常者でもそれが悲しく感じることもあるし、もしそのことが嫌ならば別れるということだってできるはずだ。

しかし、人格障害者は違う。

私のこと嫌いなんだ、見捨てるんだ

そんな発想に至ってしまう。

そして

関わらないという選択肢を

とることができない

わかってほしいのだ。自分の一部だから。

でも、本当はそんなことはないのだ。

相手が記念日を忘れていることが自分への愛情のなさでは必ずしもない。

そういう人なのだ。

そんな考え方を許容していくことが相手と上手くいくことの一歩だと思う。

 

私の今の恋人は線引きがうまい。

あからさまに私を優先せず、ダメなものはダメ、嫌なものは嫌と言ってくれる。

あぁ、この人は私とは別の人間だな、と常々意識することができる。

元夫のような激しい愛情表現はないが、ただ普通に穏やかに私と時間を過ごしてくれる。

たまに元夫と比べて悲しくなることがある、が、彼と元夫は別の人間なわけで、だからといって彼から愛情を全く感じないわけではない。

角度によっては今の彼の方が私を愛してくれていると感じる部分もある。

 

よく、人格障害者への対応として線引きが大事であるというフレーズを目にするが、まさにその通りである。

線引きをしないと何処までも甘え続ける

それが人格障害者だから。

うまいこと線引きをしてくれる

パートナーを持つこと

それも人格障害と付き合いながら生きていく術であると今は思う。

豊田真由子議員

表題の議員の言い訳がほとほとわからないわけでもない。

本当に自分なのかと驚いてしまう。

 

きっと私も忿怒を起こした理由を公の場で答えるとするなら同じことをいうだろう。

公の場で自己愛性人格障害者はメッキを施している。

 

言いようもない不安に襲われた。

これもとてもよくわかる。

私の場合は見捨てられ不安とアイデンティティの崩壊であるが、表題の議員もきっと有権者へ向けて作り上げてきた完璧な自分を崩されることが怖かったのだろう。

普通に自分に自信があれば、あんな暴言を吐くこともなかったのだろうが、

劣等感の塊

自己愛性人格障害者であったとするならあの暴言がでてくることは納得できる。

不都合な現実をこの場で手っ取り早く

無理やり消してしまいたいのだ。 

後にその言動がさらに不都合な現実を運んでくることなんて考えられない。

短格的思考しか働かない自己愛性人格障害者は

爬虫類と揶揄される

 

余談だが私の顔つきも犬か爬虫類かで答えるなら完全に爬虫類よりだ。

友人と並んで写真を撮るとそれは顕著で黒目が小さくて光が少ない。

黒目の大きくなるカラコンをしてるのにこうだから、カラコンを外すともっと酷いのだと思う。

 

表題の議員はきっと、暴言によって相手を傷つけたことは反省してないのではないだろうか。

暴言が明るみになったこ

そのことで暴言を吐いたことを後悔はしているだろう。

私も同じだ。

忿怒によって元夫を傷つけたことよりも、忿怒によって離婚になったことで忿怒したことを激しく後悔した。

どこまでも自分のことしか考えられない

自己愛性人格障害者の特徴だ。

 

 

自他未分化

自己愛性人格障害を含む人格障害の特徴の一つに自他未分化というものがある。

これは

自分と他人の境界が曖昧になる

という心理的現象である。

 

初対面なのにやけに馴れ馴れしい人がいたら、人格障害を疑う余地はある。

現に私も初対面の人に対して馴れ馴れしくしてしまうことが多い。

はっきり言って無意識なのだが

 

ここでこの人失礼だな、と距離を置かれたらおそらくそれまでなのだが、話しやすい人だと思われて距離が縮まることの方が実際多い。

そのせいか、

表面的な知り合いがやけに多い。

これも自己愛性人格障害者の特徴である。

 

人は誰でも幼い頃は母親を自分の一部として見なしているが、成長するにつれて自分と母親は違う人であり、考え方や意見が違うこともあれば思い通りにならないこともあると知ることになる。

しかし、これをうまくできなかった人は自他未分化ままそれを他の人間関係にも投影してしまう。

 

実際私が母親と辛うじて自他未分化できるようになったのは、

社会人になって

一人暮らしを経験してからだ

これは一概に私の責任だけではなく、母親にもあると思っている。

母親も自分の思い通りにならない私に対して感情をよくむき出しにしていた。

母親がギャーギャーいうか、私がギャーギャーいうか、どちらが先かどうかだけで、どちらかが冷静になることはなかった。

そのせいか、私はあまり母親が好きではなかった。

 

社会人になって家を出てから、物理的な距離ができたおかげで母親と話すときや少し意見が違ったときも冷静に意見を述べれるようになった。

その影で被害を被っていたのはその時々の恋人、そして元夫だった。

私のこと好きならわかってよ

そういう考えを手放すことができずに何度も苦しんだ。

 

結婚して、永遠の幸せを手に入れたと思い込んだ私は、時に献身的だったが同時に支配的でもあった。

自分と元夫は一心同体でいつも同じことを考えて私の幸せが彼の幸せである。と潜在的に思っていたのだ。

そのせいで元夫に去られた時

手足を失ったように何もできなくなった

 

元夫は優しかった。

私のやることなすこと全てを反対しなかった。

俺はYのどんなことに付き合っても面倒だなんて思わないと言う元夫のことを

私は自分の一部として見ていた

彼がどう思うか、なんて考えたことは結婚してからは恐らく一度もなかった。

嫌でも聞いてくれることに

無償の愛を感じていた

私は彼の存在によって仮の自分を作り出し、生かされていた。

失って初めて自分がそんな風に考えていたことに気づいた。

 

自分がないから、誰かの存在を通さないと自分がわからなくなって精神が崩壊してしまう。

だから平気で他人の領域に入り込んでしまう。

特に

外でいい顔をしていると身内に対して

その症状は強烈に出てしまう。

 

今でも母親が少しでも嫌そうにすると、そして逆に嬉しそうにしても私は少し気が重い。

親が子供のことを自分のように思うことは普通のことであるが、あまりにも私の状況や感情に振り回されすぎである。

私と同様、母も自他未分化な部分が大いにあると感じる。

自他未分化については

私の場合

母子関係が強く影響している

 

反面教師で自分は冷静にしなければならないと常に肝に銘じるように今は思う。

 

 

自己愛が助長される環境

元夫との離婚から半年以上が過ぎた。

改めて結婚生活を振り返ると、あの環境は私の自己愛を助長していた。

 

まず私は地元の関西を離れて地方都市へ嫁いだ。

友人はおらず、全ての行動は元夫を伴ったものであった。

元夫は家族から大切にされていて、息子の選んだ私のことを家族もとても大切にしてくれた。

ここでいう家族とは両親だけでなく、祖父母や親戚もである。

 

そして元夫の会社の人も私を特別扱いしてくれた。

嫁いだ土地はわりとよそ者がくるような場所ではなく、関西出身の私は珍しく、面白い人として重宝された。

 

そして元夫は私に対して異常に優しかった。

まるで子供を褒める母親のようにいつも私の味方をしてくれた。

元夫の前で私は3歳ほどの精神年齢で接することが多かった。

元夫はそれを可愛がり喜んだ。

今考えると滑稽である。

 

排他的といわれるその土地で特別扱いされて歓迎されること。

その環境は私に

こんなにも社交的で

人と明るく接することのできる

素晴らしい人間であるという意識を

芽生えさせた。

これこそ

幼児的万能感

である。

 

本当はそんなことないのだ。

周りが私に対して名一杯優しくしてくれたから

私はその優しく接されるという反応で

自己を見出していたのだ。

本当の私は空っぽである。

元夫なしでは生きれない自分に気づかないほど私の自己愛は肥大化していた。

 

どれだけ甘えさせてくれても、健常者であれば自分の価値観がその甘えを常識的な範囲を逸脱しないように行動制限する。

しかし自己愛性人格障害者は

どこまでも甘え続ける。

空っぽの自分を満たすために求め続けないと精神がおかしくなってしまう。

自己愛性人格障害者が結婚してても浮気するといわれるのは、自分はこんなところで収まりたくないという甘えが他に甘えさせてくれる環境を求めるがゆえだ。

(ちなみに私は浮気こそしていないがもっといい人がいると思ったことは何度もある)

 

…恋人ができたことで自分について考える時間が減ったが、改めて考えると本当自分はろくでもない人間だ。

怖くて聞けないがなんで私なんかと付き合ってくれるんだろう、騙されてるんじゃないかと思うことがある。