『自己愛性人格障害』本人のブログ

自己愛性人格障害者本人が綴る、深層心理

優越感を与えてくれる道具

他者を道具のように扱う

私はそうだ。

それも意図も利用してるのではなく、そんなつもりは無いというように。

相手のせいにして、私はあなたが好きだから、こう思うのだ、と言わんばかりに。

特に身近な人に対して

 

恋人に言われたことが図星すぎて笑いそうになった。

それとともに、自分が根から自己愛であることを再確認した。

俺がいないから寂しいのではない。

俺がいない自分を他人と比べて劣ってると感じることに耐えれないだけだ。

 

そういわれて、ハッとした。

いや、心の中ではそれに気づいてたし、そうやって寂しさのせいにしてきたけど、結局そうなのだ。

恋人は言った。

 

道具みたいに扱われてる気がする。

 

その通りです、私はあなたが好きなんじゃない、あなたと上手くいってる自分が好きなだけ。

わかってるじゃない。私だってこんな風に思いたくないけど、そうとしか思えないんだもの。

どうすればいいの?

 

普段は少なからず行動に気をつけていても、特に人と比べて劣ってると感じた時に、自己愛は暴走する。

普段から道具みたいに感じるかと尋ねると、普段はそんなことないけど、と言われた。

いや、実は普段からそうやって考えてるんだけど、そうやってみえないようにしないとな、なんて考えながらやってるんだよね。

と漏らすと、黙ってしまった。

 

黙って道具になってろや

 

と言いたくなる。

本当は。そう思うならそうやって言われた方がマシだと、恋人は言っていた。

あたかも寂しくさせた自分が責められるくらいなら、そうやって言ってくれと。

そうやって言わなくても、私の望んだように動いて欲しいって心では思ってるんだよ、寂しいんだね、でも今日はダメだって、言って欲しいんだよって。

 

利用している。私は利用している。

友人と会っても、常に比べている。

そして自分の方が幸せでないんだと顕著にわかるとき、私は卑屈になる。

 

まとまりのない文章になってしまった。

 

何が幸せなのかわからない。

自分が自分、自己愛性人格者である限り、本当の幸せなんてわからないと思う。

人より優ってる時の優越感でしか幸せを感じない。

 

私は相手自身を求めてるんでなく、私へ優越感を与えてくれる存在である相手を求めているだけだ。

寛解とは

ブログを読み返すと、元夫のことを鮮明に思い出して苦しくなる。

自己愛を露呈させないように、備忘録としての意味も込めて書いていたはずだが、その役割はほとんど果たせて居ない。

 

ただ、自己愛を露呈させない努力は、特に友人や両親、職場の人間との間においてはしており、無自覚だった頃よりは周りとの関係は良い方ではないかと思っている。

なにかにうけて周りを見下していた自分を今は恥ずかしく思うし、友人で居てくれること、自己愛が故の気の利かなさを持ちながらも仕事ができていることに今は有り難いと思う気持ちもある。

これは自己愛が治ったというよりは過剰警戒型に傾いたというだけのことだ。

 

やはりパートナーの前では自己愛的な部分の露呈はある。

変わった部分といえば、自己愛を露呈させてしまったあとは、また離れていくのではと怖くなるようになったことだ。

結局傷つけたことよりも、離れていってしまうことへの恐怖から自制することは根本的な寛解ではない。

 

最初に働いた職場で、大変ですね、と発言したときに、本当に大変ですねなんて思ってないだろあ、と言われたことがあった。

そのとき私は、本当に思ってるのに!と怒りさえ感じた。

大変ですねと本当に思っているのならそれに行動が伴うはずだが、そのときの私は言葉と行動に一貫性がなくチグハグで気持ち悪さを感じたのかと思う。

 

そこの、寛解は非常に難しく、こういう時はこういう行動をするはずだというマニュアルを刷り込ませてそのパターンで動ける場面で動くしか自己愛にはできない。

 

その行動を取り続ける。

私には本当の意味での良心がない。

だから、せめてそうやって寛解したように行動を変えるしかないと考えている。

自分の未来のために。

 

コメントを一部返信いたしました。

お久しぶりです。

表題通りですが、一部コメントを返させていただきました。

もうみていらっしゃらない可能性も考えましたが、ご本人でなくても興味のある方がいらっしゃいましたら是非ご覧になってください。

 

自己愛な人生⑧

お久しぶりです

根本は結局変われない

 

こちらのコメントです。

全くの建前なしで答えてます。

 

 

 

自己愛的行動をしてしまいました

お久しぶりです。

コメントの返事をしなければ、と不意に思う時があるのですが、そうでない日が続いています。

コメントを返すことを義務として返してしまうと究極の部分が抜けてしまうといいますか、真摯に返信できるタイミングがくるまでどうぞご容赦ください。

 

相手の気持ちを無視してしまうことが自己愛の特徴の一つとして挙げられるが、この行動を私は本日とってしまった。

いや、本日というよりも細々と長く続けてもいたのだが、今日行動は決定的だったと思う。

なんでそんなことができるのか?という行動を自己愛は平気でとる。それをされた相手の気持ちがわからないわけではないが、無視をして。

嫌だって少しでも思ってることはわかっていたけど私はその気持ちを無視し続けた。

そればかりか、嫌なら真剣に嫌だからやめてくれと言ってくれ。そうじゃないとわからない。と要求した。

指摘されると別の話にすり替える。全然違う話を引き合いに出してそれならあれはなんだったのと問いただす。

書いていて、あぁ全くその通りの行動をしてしまったなと今、思う。

 

恋人との関係を解消した方がいいのかもしれない。

私が自己愛的行動をとってしまうから。

どうしようもないことが悔しいと思ってしまう。

どうしようもないことだから、言っても何も解決にはならないのに。

彼にも言われた。

なんでプラスにならないことを求めるのだと。

わたしだって我慢してると言いたい。わたしとだったらこんなことにはならなかったのにと言いたい。

原因は決まって彼の過去のことだから。

それを除けば本当に一緒にいて楽だし頑張りすぎずにいられるちょうどいい存在なのに。

悔しくなる。

 

でも過去は受け入れた上で彼と付き合ったはずだから言ってはいけない

しかし、受け入れてたんじゃなくて、結局離れるのが怖いから仕方なく諦めてただけなのかもしれない。

我慢も相手を困らせないためじゃなくて自分から離れていかれたくないからしてるだけだ。

 

 

分かってる。本当にわたしは弱い。

なのにまだ甘えたい心が払拭できない。

本当はわたしだってこうしたいんだよ、我慢してるんだよ、何も文句言わずに過ごしてるのにって。

相手が色々大変なこともわかるから、だからゆわないのにって(こうやって相手の気持ちに罪悪感を植え付けたくなる。でもそんなことをいうとじゃあもう別れようと言われるのが怖くて言えない)

まだ行動にはうつしてないしうつしてはいけないと分かってる、けど泣きたくなる。

ここまで思うくらいなら別れる勇気がほしい。

でもそんなことしたらまた精神がおかしくなってしまうことはもうわかっている。

やっぱりわたしは弱い。

 

承認が遅くなり申し訳ございません

表題のとおりです。

共感いただけるコメント多数いただき有難うございます。

自己愛本人の苦しみ、自己愛を身内にもつ方の苦しみ、どちらも計り知れないと思います。

どうか本人がそれに気づき、自分を客観視して寛解できることを祈るばかりです。

 

私自身、恋人とは順調ではありますが、やはり甘えが強いということをいわれました。

だからと言って離れることはないという言葉に支えられて自分を律しながら生活する毎日です。

自分のない自己愛だからこそ相手の色に染まることもできるのではないかと思います。

自分が相手なしで生きられないという自覚を持つ限り。

やっぱり私はダメな人間なんだと思う

うまくまとめられないが、そう思う。

執着している相手に思い通りにいかないことや、否定的に思われること。

それが精神を崩壊するほどに辛く苦しい。

それが本当にダメな部分だと自分でわかっている。

なのに誰かに受け取ってほしいと、受け止めてほしいと思ってしまう。

受け止めてもらえた時私はなんでも出来るし輝いていると感じられる。

元夫はどれだけ私を受け止めていてくれたんだろう。

苦痛に感じることはなかったのだろうか。

ただの1度の激昂だけであんな風になったことも、それ以前にも私に理由があった気がする。

 

私はやっぱり異常だ。

今の恋人にも、親になるにはどうなのかなと思う時がある、といわれた。

だからまだ将来のことは考えられないと。

私も親になりたいと思う時もあれば、なりたくないと思うこともある。

いや、なりたいけどなる自信がないというのが正しい。

結局気持ちが定まらない。

 

精神が安定すると次は思いやりをなくす。

安定していないと夜も眠れないし消えたくなる。

必要とされることが私の生きる意味なのに。

心から私を必要としてくれた元夫。

きっと今の恋人はそろそろ私に愛想を尽かし始めている。

なんでそんな風に思うのか理解できないと言われる。

私だって好きでこんな感情になるわけじゃないのに。

 

私の願いは一つしかない。

最高に幸せだよと父に言えるようになること。

元夫に、Yさんと結婚させてくださいといわれたときの父の本当に嬉しそうな顔。

あの顔をもう一度見たいし、孫だって抱いてほしい。

 

なのに私にはできないんだ。

もうなんで産まれてきたんだろう。

死ぬのは怖いから死にたくないけど消えたい。

お久しぶりです

しばらく更新が止まっていて申し訳ございません。

 

人格障害である自分を見つめ直す間も無いほどめまぐるしい日々を過ごしている。

まだしばらく、もしかすると一生、この日々が続くかもしれない、いや、続いて欲しいと願っている。

 

最近おそらく最後になるであろうタイミングで元夫に会う機会があった。

それまで大分精神的に落ち着き、平常心を取り戻していた私だったが、、元夫の冷酷な表情をみた瞬間に頭が真っ白になり簡単に精神崩壊した。

行動としては涙が溢れて止まらないという程度でおさまったが、このブログをはじめたばかりの自分だと何をしていたかわからない。

 

元夫をみて悟ったことは、人格障害者に人生をかき乱された恨みや傷は一生消えないということ。

 

今の恋人を、私は好きだ。

彼は元夫のように私を褒めない。どちらかというと指摘もされる。

でも、本当の意味で、一緒にいると楽しいことが多いし、笑いのツボも似ている。

尊敬する部分もあるし、守ってあげたい部分もあるし、深い話もできる。

話を聞いてくれないこともあるが、逆に気を使わずにいれる。

友人のような感覚だ。だからあまりときめくこともない。

 

なのに、何故こんなにも元夫を思い出して涙が出るのか、冷酷な対応に精神崩壊するのか。

元夫について、過去に私への異常なまでの愛情があったという事実。

彼の私への存在肯定行為は凄まじいものだった。

私の自己否定感全てを覆し、誰よりも素晴らしい自慢の妻であるという言葉や行動は自己愛を肥大化させた。

どんな負の感情もその倍でうけとめてくれていた。

夫と私は夫婦ではなく、王様と家来のような関係だった。

夫に愛される妻である自分が私は大好きだった。

彼の妻であることでの周りからの特別扱いも私にとって優位なものだった。

私は彼自身を愛していたのではなく、彼に愛される妻である自分のことが大好きだった。

 

そのころの私への愛情と私自身の立場と、現在の憎悪や立場への格差を私は受け入れることができないのだと悟った。

 

何かがあって愛が憎悪に変わることは、人格障害者に対してでなくてもあることだ、

それは最初うけいれることができなくても、ゆっくり時間をかけてでも受け入れられる日が来ると、私もそう思っていた。

 

しかし、やはり人格障害がゆえにそれは不可能だと悟った。

私は、元夫から嫌われたことを受け入れたのではなく、ただ忘れかけていただけだった。

恋人との日々が忘れさせてくれているだけだった。

嫌われることは、自分自身の存在完全否定となり、それは精神崩壊につながる。

受け入れることはもう私はできないのだと、忘れるしかないと、それが自分の精神を保つための最善の策であると。

 

元夫に、本当に酷いこと、健常者では考えられないことをした。

しかし、そのことを申し訳なく思う気持ちよりも、どうすれば自分は精神崩壊しないのか、それしか考えられなくなる。

 

誰かを通さないと

自分の存在を確認できずに精神崩壊する

 

人格障害者の特徴だ。

健常者では考えられない行動を平気で行う。

 

結局自分のことしか考えられない

 

何故そうなるのか。

それは自分自信にもわからない。

だから、どうすればいいのか?

そういう話を恋人としたことがある。

それなら、そうならないように(精神崩壊が行動化しないように)行動するしかないね。

そう言われた。

恋人は、人格障害の概念を信じていない。

誰でもそういう部分は併せ持っているし、それが強すぎるだけで、それだけがYではないし、そうならないようにすればいいだけだと。

 

元夫にとっては、私と関わらないこれからの人生があればそれでいいのだ。

だから私が事実を受け入れようが、受け入れまいが、忘れようが、忘れまいが、とにかく関わりをなくせればどうでもいいのだ。

あんなに愛されることはもうないと思う。

あの愛し方を求めると私はまた同じことを繰り返すのだと思う。

だから私は元夫を忘れることにした。

学んだことは忘れないが、愛されたことや嫌われたことは忘れる。

恋人と新しく人生を歩いていく。

 

またしばらくブログを更新しない日が続くと思う。

しかし、ブログ自体には1日500アクセスほどある。

人格障害者に悩まされる人、悩む人がこんなにも多いのかと痛感させられる。

なのでブログ自体は必要とされるかぎり残しておこうと思う。

 

必要とされたい。

 

情緒不安になるといつもその想いが込み上げて壊れそうになる。

そうなったときは涙をこぼすだけにとどめる。

それが私の人間関係を壊さないための得策だ。

受け止めてくれ、とはもう思わない。

恋人には楽でいてほしいしそういう関係でいたい。

受け止めてしんどくなるなら受止めなくていい。

私は泣いて、それであとが楽しければ大丈夫なのだから。

一時的に感情が暴走してもあとに笑えば大丈夫なのだから。

イライラすることがあっても、友達とビール片手に大笑いすれば忘れられるのだから。